「ドイツの少数言語 ソルブ語」を開催しました。めずらしいテーマにご興味を持たれた方、大勢に参加いただき無事終了しました。ありがとうございます。
泉ボグミワ先生といっしょに、泉博之先生も出て下さいました。
いつものように、コーヒーブレイクでは、気軽に講師に質問したり、生徒さん同士でおしゃべりして、楽しく過ごしていただきました。
この日曜セミナーは、ふだん受講して頂いている生徒の方の他に、以前、こちらで勉強なさっていた方、まったく受講経験のない方などにもご参加いただき、いつものクラスとはまた違った刺激的な環境です。毎週の授業には出られないけれど、時々ドイツ語に触れたいという方もいらっしゃいます。
今後もユニークなテーマを探して開講しますのでどうぞいらっしゃって下さい。
皆さまからの、ご希望やご意見も随時承っております。
ドイツの少数言語「ソルブ語」概要
ソルブ語は、ドイツ東部に住むスラブ系の少数民族、ソルブ人の言語です。
6世紀ごろ、現在のドイツ東部の地域にスラブ族が入って来て定住するようになり、近世までドイツのかなり広い地方にスラブ系の住民が住んでいました。ベルリン、リューベックなどの地名もスラブ語に由来しています。
ソルブ族も、このスラブ系諸部族の一つです。10世紀頃から東フランク王国(ドイツ)が東方への植民政策をすすめ、多数のドイツ系農民が入植し、先住民のスラブ人は次第に圧迫されて多くの人は同化されてドイツ語を話すようになりました。しかしラウジッツ地方のソルブ人は独自の言語と風俗習慣を維持し、非常に数が少なくなったとはいえ、現在まで存続しています。
ソルブ語は、南部のバウツェン市を中心とした上ラウジッツ地方の上ソルブ語と、北部のブランデンブルク州コットブス市を中心とした下ラウジッツ地方の下ソルブ語の2つに分かれています。ソルブ語を話す人々は現在ではきわめて少なく、上ソルブ語の話者はそれでも約2万人いますが、下ソルブ語はせいぜい2000人に過ぎず、絶滅が危ぶまれています。
16世紀に聖書が上・下ソルブ語に訳され、その後次第に文章語としてのソルブ語が確立していきました。19世紀にはハンドリー・ゼイレルなどの詩人が現れ、またソルブ人の民話が採集され、ソルブ語による歌謡大会なども開かれるようになりました。
1912年に、ソルブ人のさまざまな文化団体の上部組織として「ドモウィナ」が設立され、ソルブ人の権利の擁護と独自の文化の保護育成に努めるようになりました。ナチス時代には活動を禁止されたが、戦後すぐに活動が再開されました。
社会主義政権時代にはソルブ人の文化を保護する政策が取られたものの、さまざまな制約がありました。
1990年のドイツ統一後、ソルブの言語・文化の保護の重要性が再認識され、絶滅の危機に瀕している下ソルブ語に対する対策も講じられるようになりました。その一環として1998年から幼児と小学生を対象とした、ソルブ語を復活させるモデルプロジェクト「ウィタイWITAJ(ソルブ語で『ようこそ』という意味)」が実施されています。
ソルブ語はポーランド語、チェコ語などと同じ西スラブ語に属していますが、長年にわたって他のスラブ語から孤立していたため、古い文法規則や語彙が残っています。特に珍しいのは、単数、複数の他に「双数」が残っていることです。またソルブ人の間には、「レイトワニェ(復活祭の日曜日に行われる乗馬行列)」、「Hahnrupfen/kokot(雄鶏の羽むしり-夏の収穫が終わった時期に馬に乗った若者がオークの葉で飾られた門を通過し、門に吊るされた雄鶏を叩き落す行事)」など、キリスト教化される以前の時代からのさまざまな風俗習慣が残っています。